1900
明治33年 |
1月1日岐阜県八百津町にて誕生。
八百津町で少年時代を過ごし、その後、父の仕事の関係で三重県や名古屋市で生活する。 |
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1917
大正6年 |
愛知県立第五中学校を卒業。父の希望により京城医学専門学校を受験するも、
白紙答案を出し不合格となる。 |
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1918
大正7年 |
早稲田大学に入学したが、1919年中退し外務省の留学生としてハルビンに留学。 |
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1920
大正9年 |
一年志願兵として朝鮮龍山歩兵79連隊12中隊入隊 |
- 1920
- ドイツ労働者党、ナチ党に改称。
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1924
大正13年 |
任外務書記生となり、2月満州里在勤命令、12月にはハルビン在勤命令がでる。 |
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1932
昭和7年 |
満州国外交部特派員公署事務官となる。 |
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1933
昭和8年 |
北満鉄道の譲渡を巡りソ連との交渉を始める。 |
- 1933
- ヒトラー政権成立
- 1934
- ヒトラー総統に就任
- 1935
- 日満ソ三国の協定が成立。
ニュルンベルク法公布、ユダヤ人の市民権剥奪
- 1936
- 日独防共協定調印
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1937
昭和12年 |
ソ連勤務を命じられていたが、ソ連から入国を拒否され、
フィンランドのヘルシンキ公使館勤務になる。 |
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1938
昭和13年 |
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- 1938
- ドイツ オーストリア併合
ドイツ チェコ・スロバキア・スデーデン地方分割
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1939
昭和14年 |
リトアニアの首都カウナスに領事館開設を命じられる。 |
- 1939
- チェコ・スロバキア解体(ドイツ保護下へ)
独ソ不可侵条約締結
ドイツ軍 ポーランド侵攻
第二次世界大戦勃発
独ソによるポーランド分割
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1940
昭和15年 |
7月、ユダヤ難民への日本通過ビザの大量発給をはじめ、
8月26日までに、計2139家族に日本通過ビザを出す。
8月下旬カウナス領事館を閉鎖。
9月初旬カウナス駅より国際列車にてベルリンへ出発。
チェコのプラハ総領事館に勤務。 |
- 1940
- ソ連、バルト三国に侵攻
ソ連 リトアニアを併合
日独伊三国同盟調印
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1941
昭和16年 |
2月28日に、ドイツ領のケーニヒスベルク総領事館勤務を命じられ、
11月にはルーマニアのブカレスト公使館を命じられる。 |
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1942
昭和17年 |
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- 1942
- ドイツ、ユダヤ人についての「最終解決」
(大量虐殺)を決定
ワルシャワ・ゲットーでユダヤ人の虐殺始まる
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1945
昭和20年 |
ブカレスト郊外の捕虜収容所に収監される。 |
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1947
昭和22年 |
4月に帰国(九州博多)。6月に外務省退官。 |
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1960
昭和35年 |
商社の事務所長としてモスクワ赴任。
以後、会社を二度変わったが、引き続き現地で勤務。 |
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1968
昭和43年 |
千畝がビザを発給して助かった
ニシュリ氏と28年ぶりに再会する。 |
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1969
昭和44年 |
難民時代に杉原が助けた
バルハフティク・イスラエル宗教大臣から勲章を受ける。 |
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1985
昭和60年 |
イスラエル「諸国民の中の正義の人賞」(ヤド・バシェム賞)を受賞。
日本人ではただ一人。 |
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1986
昭和61年 |
神奈川県鎌倉で死去。 |
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