なぜ、千畝はヴィザを発給したのか…決断
私も何をかくそう一晩中考えた。苦慮、煩悶の挙句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。そして私は何も恐れることなく、ヴィザ発給を決意した。
その後、千畝が1ヶ月間で発給したヴィザは2,139通になります。
一人でも多くの命を救うために、入国ビザを必要としない南米キュラソー行きの『命のビザ』を少しの時間も惜しんで書き続けた千畝は、領事館を退去した後もホテルで渡航許可証を書きました。いよいよ出国という最後の日、駅にまで押し掛けてきたユダヤ人たちにも発車間際まで渡航許可証を書き続けた千畝。最後の渡航許可証は車窓から手渡したのでした。