更新日:2024年12月23日

ニューヨーク州入賞

              ニコラス・シェール

 

杉原さんは正しい事を行った偉大な人物です。杉原さんの行った「正しい事」によって多くの人命が救われました。しかし、重要なのは、救った命の数ではなく、その時、杉原さんがいた状況なのです。得をするどころか、全てを失ってしまうかもしれなかったのに、杉原さんは正しいことを行いました。このことが、杉原さんのとった行動をさらに素晴らしいものにしているのです。

私も一度このような状況に直面したことがあります。杉原さんのとった行動とは比べものにならないかもしれませんが、何も得るものがないという状況に自分を置いたことがあります。幼なじみを失ってしまうかもしれませんでしたし、周囲から冷たい目で見られることになったかもしれませんでした。しかし、ある状況に面して、それが間違っていると感じ、正しいことをしようと思ったのです。

私にとって、人種に関する冗談というのは、非常に愉快なものでした。この種の冗談には誰もが大笑いするものです。私もそうでした。他の人と同じように大笑いしていました。しかし、今思えば、私が冗談を笑えたのは、自分のとった行動がどのような影響を与えるのか全く考えていない、ただの世間知らずのばか者であったからなのです。

人種に関する冗談というのは固定観念に満ち、差別的で、低俗なものです。また、何よりも人を傷つけるものです。どうしてこのような冗談を笑うことができたのでしょうか?私にはそうする理由が一つもありませんでした。直接的であれ間接的であれ、私や私の家族は、特定の民族から危害を加えられたことは一度もありませんでした。それにもかかわらず、私はこのような低劣な冗談に加わっていたのです。

ある出来事が私の心に深く刻み込まれています。それは、人種に関する冗談について私の考え方を改めさせるものでした。その出来事は、時間が経つにつれてますます大きな意味を持つようになってきました。誰かが人種に関する冗談を言い、そしてその冗談を別の誰かが(その人が冗談の対象であってもそうでなくても)それを聞いた場合、口論どころか殴り合いのケンカになることもあります。

ある日、私は友達とお昼ご飯を食べていました。お昼ご飯をつつきあったり、前の夜のアメリカン・フットボールの試合やレスリングの試合について話をしたり、冗談を言い合ったり、普段となんら変わらないお昼でした。私の友達が中国人に関する冗談を言った時に、中国人の生徒が通りかかり、その冗談を聞いたに違いありません。彼の顔から笑顔が消えてしまったからです。

彼は何も言わずに、うつむいたまま行ってしまいました。数学の授業に向かう途中で、彼がトイレから出てくるのを見かけましたが、真っ赤になった目から、彼が泣いていたことは一目瞭然でした。私は彼と同じ数学のクラスをとっていましたが、その日は中間テストがありました。私はテストを受け、普段と同じようにその日を過ごしました。

次の日、先生がテストを返してくれました。予想通り私の点数はなかなかのものでしたが、冗談で傷ついたジェイソンは、赤点を取ってしまいました。ジェイソンは頭の良い、数学が得意な生徒でしたので、これには非常に驚きました。先生が理由をたずねた時、ジェイソンは、色々と心に思うところがあったとだけ答えました。私にはそれで十分でした。私は彼が何を思っていたのか、何が彼を悩ませいたのか知っていました。

その週末に私は祖父に会いました。そして、学校でおきた出来事について話をしました。私が、彼を傷つけるつもりはなかったと言うと、祖父はそういう問題ではないのだと言って、幼い頃に祖父が体験した同じような出来事について話し始めました。祖父は私とは逆の立場でした。ユダヤ人であることをからかわれたのです。祖父はそのときに感じた気持ちについて話してくれましたが、私がどうしたらいいのかは教えてくれませんでした。何が正しいことなのかは私が自分で考えるようにしてくれたのです。

私は自分のとった行動について振り返ってみて、彼に心からの謝罪をすることに決めました。翌月曜日の昼休みに私はジェイソンの横に座り、自分が間違っていたことに気づいたと言って謝りました。私の祖父が私に謝ることを教えてくれたことも話しました。そして、もう二度とそういう冗談は言わないと約束しました。ジェイソンは私を許してくれました。私はジェイソンと握手をして別れ、昼食をとりに友達のところへ行きました。

ニックス(全米プロ・バスケットボールのチーム。在NY)の延長戦について話をしている時に、同じような冗談話が始まりました。私はやめるように言いましたが、誰もやめようとはしなかったので、私はかっとなって席を立ちました。その晩私はその場にいた友達みんなに電話をして昼休みの話をし、そういう冗談が実際に人を傷つけることを説明しました。そして、私が二度とそういう冗談を言わないことをジェイソンと約束したことを話し、みんなもそうしてほしいと言いました。

その日から数週間のうちに、誰が私の話を理解してくれて、誰が私の本当の友達なのかがわかりました。本当の友達はそういう冗談を言うことをやめてくれました。友達だった人には未練はありません。

私は正しいことをしました。別に何の得もしませんでしたし、多くの友達を失いましたが、正しいことをしたのです。私のとった行動は杉原さんのとった行動に似ていると思います。人に命を救ったわけではありませんが、何かが間違っていると思いそれを正した点では似ています。杉原さんのとった行動とは比べものにならないかもしれませんが、道徳的には同じです。

私も杉原さんも自分のとった行動によって多くの不利益を被りました。杉原さんは罪を犯したとして処罰を受け地位を失いました。私も杉原さんも周囲から冷たい目で見られました。私も杉原さんも人を救って別に何の得もしませんでした。自分の特にならなくても私たちはそういう行動をとるのです。私たちの行動は本質的に似ています。互いに正しいことをしたという点において。