更新日:2024年12月23日

カリフォルニア州

              エミール・ブロック

 

私、エミール・ブロックは、アフリカ人の奴隷、ネイティブアメリカン、ポーランド系ユダヤ人の血筋をひいています。私のアフリカ系の祖先は、はるか大西洋を鎖に繋がれアメリカに連れてこられました。その航路は別名、中間航路と呼ばれた奴隷船航路で、のべ1000万人ものアフリカ人が航行中に命を落としました。ユダヤ系の祖先はナチスの占領前にポーランドを脱出し、アメリカの地で姓を改名し、イディッシュ語を使うこともユダヤ教を信仰することもやめてユダヤ人のアイデンティティを捨てさり、アメリカに同化して暮らそうとしました。ネイティブアメリカン系の先祖は自分たちの土地を奪われ、故郷のフロリダからアメリカ大陸の半分を横切る行程を軍隊の監視のもと徒歩でオクラホマへと強制移住させられました。その行程は「涙の旅路」と呼ばれています。
こうした社会的抑圧は現在も続いています。自殺率は10代のネイティブアメリカンが、貧困層はアフリカ系アメリカ人が最も多く、反ユダヤ主義は未だに根強く残っています。私たちは、過去の歴史を変えることはできませんが、現在の問題を訴えていくためにも、まず、ここに問題が存在するのだということをきちんと承認するべきで、対話や変革の試みを避けるということは黙っている方が無難だという考えへの逃げにすぎないのだということに気づかなければなりません。不正義に声をあげないでいれば社会は進歩しないばかりか後退していきます。
沈黙は実際の人権侵害行為に匹敵する恥ずべき行為です。沈黙することは不正義に対置しないということであって人権進学を暗に了承することです。ホロコーストでは、ナチスを本心では承認していなかったといえ、大半のドイツ人が600万人のユダヤ人とそのほか600万人が殺害されていくのを見過ごしてきました。彼らはナチスと同罪にあたります。
私の国も第二次世界大戦中、戦時体制の名のもと日系アメリカ人をスパイなどと見なし収容所に収容するという恥ずべき罪を犯しました。私はこの事実を14歳のときにサンフランシスコの日系新聞の新聞配達をしていて知りました。上司の一家は収容所に入れられていたのです。その上司がその話をするのは金曜の夜に飲んで酔ったときだけでした。苦悩が瞳ににじんでいました。酔ってそのときの話をする以外は感情を表に出さない人でした。一家には自分たちの仕事も家も収容所に入れられる前はありましたが、収容所で4年の時を過ごしたのち、アメリカ中が終戦の喜びに満ちあふれている中で一家に残された財産は着ている服と古ぼけたスーツケースの中身のみでした。戻るべき家も仕事も失っていました。生活をまたすべてゼロから始めなければなりませんでした。こうした不当な行為に異論を唱えた人はほんの一握りで、しかも彼らは裏切り者や敵国日本人のシンパの烙印を押されました。異論を唱えなかった人々、不正義を目前にして沈黙を守っていた人々は、善良な市民のふりをして日系アメリカ人を主要所へ送った人々以上の罪に値します。エリー・ウィーゼルはホロコーストについて「善良な人々が何もしなければ悪は容易になされる」と語っています。奴隷の雇い主やネイティブアメリカンの土地を収奪し利益を得た者、ナチス、日系アメリカ人を強制収容した軍部ではなく、不正義を目の当たりにして何もしなかった側に問題があったのです。
 反差別連盟(ADL)はアメリカで積極的に増悪や差別、偏見と闘う団体の中心的な役割を果たしています。ADLは漫然と事件が起きるのを待っているような状況にはなく、日々増悪や差別、偏見をいだく人々によるテロの脅威にさらされながらも、任務を遂行しています。そして啓発を通じさまざまな民族や人種が共生できるような視点を築く活動を行っています。アメリカ合衆国に存在する偉大な人々によって組織された多くの団体のほとんどは、私たちが住むこの社会を変革していくような活動を行ってはおりませんが、ADLはそんな組織ではありません。ADLは人種主義や不正義に対する瀬間を拒否し、私たちが住むこの社会の変革をはかっています。
私たちの道徳的生活における最大の敵はなれあいです。なれあいは不法で不誠実な秘密の共謀です。例えば、人がある団体の悪意に基づく攻撃の標的になっているときには必ず周りでそれを目撃している人がいますが、誰もそれに対置しようとはしません。沈黙することによってその行為を暗に了承するのです。なれあいを温存する大きな要因が沈黙です。このようにして私たちはその行為に荷担してしまうのです。何らかの理由によって就職や大学就学を拒絶されている人々が存在します。その理由は国の状況によって異なりますが、差別という暴力に挑む人がいません。隣人が夫に暴力をふるわれている声を黙っている人。助けを求めさえすれば命が救われ、苦痛が終わるのに誰も何もしない人。その人は貴方でしょうか?私でしょうか?沈黙はなれあいです。私の高校ではトイレや廊下に人種差別的な落書きが書かれていました。生徒は日常的に人種差別的な言葉を発していました。感情や言葉による人間否定が行き着く先は身体的暴力です。私は体が大きく強かったので学校ではいじめにあいませんでしたが、いじめられている人を見ていました。そして見て見ぬふりをしました。それがなれあいです。
自分の政府に立ち向かった杉原千畝氏の行為に人々は敬意を表しています。自分自身のみならず、家族を危険にさらしてまでもユダヤ人を死の淵から救うという決断、それは彼の心と精神による決断でした。第二次世界大戦下の不確実で崩壊的な社会状況の中、そうした決断を行うことは容易ではありませんでした。誰に指示されてわけでもなく、その高潔で記念すべき決断を彼はしたのです。ただ、それが正しいことだと思ったからです。率直に言って、私たちの誰もが直面するかもしれない状況は杉原千畝が直面した危険以上のものではないでしょう。仲間や家族、社会一般による嘲笑はヒットラーの怒りと
比べれば比ではありません。杉原さんがすべてをリスクにかけて心の決断ができたのならば、私たちにもできるはずです。
私は、私の祖先の犠牲と杉原千畝氏の精神的遺産に敬意を表し、仲間の人類のために力を尽くしていきたいと思っています。偏見や暴力、増悪になれあわずに。一緒にがんばってみませんか?